「完璧じゃなくてもいい」─適応障害を乗り越え、私が選んだ自分らしい働き方

2025/9/19

こんにちは、マーケティング本部の榎本生恵です。
私は2023年にキズキへ入社し、産休・育休を経て、2025年に復帰しました。営業職から人事へキャリアを転じ、今は採用や組織づくりに携わっています。今日は、私自身の家庭環境やキャリアの歩み、そして適応障害を経験したことで学んだことを、少し赤裸々にお話ししたいと思います。

幼少期〜「優等生であるべき」と自分にラベルを貼っていた日々

私は両親ともに教師で、4人兄弟の中で育ちました。
周りからは「〇〇先生の娘さん」「△△くんのお姉ちゃん」と呼ばれることが多く、いつのまにか「優等生でいなければ」と自分を追い込むようになっていました。
その頃の私は、自分の気持ちよりも“周りに合わせること”が自然になっていたのかもしれません。

営業から人事へ、ベンチャーでの学び

大学を卒業後、地元福岡の企業の埼玉拠点で営業職として社会人生活をスタート。その後、東京本社の人事部に異動しました。人や組織に関わる仕事の面白さに触れ、「こういう道もあるんだ」と気づいた瞬間でした。

その後、GMOグループの子会社に転職し、新卒採用を担当。上場準備期で人事・総務・営業まで幅広く担当する日々は正直大変でしたが、小さな組織で自分の仕事が会社に直結する感覚を強く感じ、「大企業より、成長中の組織で働く方が自分には合っている」と確信しました。

適応障害と休職、そして自分を受け入れる経験

自身のキャリアアップのために別のベンチャーへ転職し、採用企画を任されるようになった頃、人生の大きな壁にぶつかります。
朝から晩まで会議が続き、タスクは山積み。誰にも頼れず、全部を自分で抱え込んだ結果、心身ともに限界を超えてしまいました。診断は「適応障害」。休職を経て退職することになりました。

退職後は「社会に属していない」という不安に押し潰されそうになり、優等生として生きてきた自分と、今どこの何者でもない自分とのギャップに悩みました。
でも、夫や友人が「仕事をしていなくても、あなたの価値は変わらない」と言ってくれたことに救われ、少しずつ「完璧じゃなくてもいい」と思えるようになりました。

自己受容と働き方の見直し

適応障害からの回復では、薬に頼らず、食生活や運動を見直しました。栄養バランスを考えた食事を一日三食とり、適度な運動で体を整えると、心も少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

この経験から、「完璧を目指すのではなく、自分を受け入れ、できる範囲で働く」ことを選ぶようになりました。責任感を持ちながらも、自分を追い込みすぎない。このバランスこそが、長く働き続けるための大切な考え方だと実感しています。

キズキとの出会い、そして復帰後の挑戦

そんなときに届いたのが、キズキのスカウトメールでした。
「何度でもやり直せる社会をつくる」という言葉に、心から共感しました。自分が立ち止まった経験があるからこそ、「もっと大きな困難を抱える人を支えたい」と思い、入社を決めました。

入社後は採用担当として、限られた予算の中で知恵を絞りながら候補者と向き合いました。2025年夏には育休を経て復帰し、今はマーケティング本部の採用マーケティングチームで講師採用の母集団形成を担当しています。現場のリアルを知り、会社理解もさらに深まったと感じています。

これからは講師採用だけでなく、コーポレートマーケティングにも挑戦し、採用イベントや仕組みづくりを通して、人が自然と集まる場をつくりたいと思っています。

無理をしない働き方こそ、長く続けられる働き方

教師の家庭で育った私は、責任感と真面目さを大切にしてきました。
でも、適応障害を経験して初めて、「無理をせず、自分らしく働く」ことの大切さに気づきました。働き方に正解はありません。だからこそ、自分を認め、限界を理解しながら、自分らしい働き方を選ぶこと。
それが、キャリアを長く続けていくための一番の秘訣だと、いま私は思っています。

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