就労移行支援 キズキビジネスカレッジ(KBC) 「普通」の選択が実は自分を苦しめていた。もうひとつの居場所で見つけた「一緒に頑張りたい」と思える職場

適応障害とパニック障害を発症し、「声すら出なくなる」ほどの困難を経験したO.Yさん。社会との繋がりを取り戻し、正社員としての再起をかけてキズキビジネスカレッジ(KBC)へ通所を開始します。徹底した自己理解で「すべき思考」を手放した彼女は今、自分らしい働き方へと劇的な変化を遂げました。絶望から這い上がり、心穏やかな一般雇用を叶えたその軌跡をご紹介します。
トントン拍子で歩んだ「普通」の人生。その裏で膨らんでいた不安の種
私は、ごく普通の家庭で、ごく普通に育ちました。高校は進学校に進み、大学も名前を聞けば誰でも知っているような学校へ進学。学生時代までは、大きな挫折を経験することもなく、いわばトントン拍子で歩んできました。
ただ、当時の私は具体的な将来のビジョンを何も描けていませんでした。「将来やりたいことが分からない。でも皆就職しているから」「就活大変だな。でもあまり努力したくないな」程度の認識しかありませんでしたが、根拠のない「なんとかなるでしょう」という楽観的な気持ちで、アルバイトをしていた教育系の学習塾へそのまま就職を決めました。
入社して1年目は講師として、授業や教室運営、営業に携わり、一日数十件の営業電話に深夜までの勤務や月に30〜40時間ほどの残業をこなす日々。体力が持たず、営業も不向きと分かったので2年目には事務職へ転換しました。人間関係には恵まれていましたが、給与面などの待遇は決して良くありませんでした。講師職では業務でストレスを重ね、事務職では生活面に不安を覚える毎日。当時の私は、気づかないうちに心身をすり減らしていたのだと思います。
思い返せば、学生時代からその「片鱗」はありました。風邪をひくことはあまりないのに、就職活動の面接期間が終わった途端に原因不明の熱を1週間出したり、大学入試の緊張で電車の中で過呼吸を起こしかけたり...。他の人と比べて、精神的なストレスが真っ先に体調不良として表れやすい性質だったのだと思います。
めまい、動悸、すっぴんにマスク、声が出ない絶望
24歳の時、私は2社目となる教育系の会社へ転職しました。経済的な自立、そして何より「違う環境に飛び込んでみたい」という思いからでした。勤務地は新宿の高層ビル。いわゆる「キャリアウーマン」のように、オフィス街を駆け足で出社していく生活が始まりました。
しかし、そこで待ち受けていたのは、元々不得意だった顧客対応の電話業務でした。日々押し寄せるクレームや催促、営業と顧客の板挟みになる仲介業務。前職ののんびりとした事務とは比べ物にならない膨大な情報量に、私のキャパシティはすぐに限界を迎えました。不運なことに、入社直後に新型コロナウイルスに感染して10日間の出勤停止となり、スタートでつまずいてしまったことも追い討ちをかけました。
「あのお客さんにメールを送ったかな、もし送っていなかったらどうしよう」。休日になっても心臓のバクバクが止まらず、一睡もできない。早く会社に行こうにも、身支度や化粧を整えることすらできなくなり、すっぴんにマスク姿で出社する日々。電話がきても相手の言葉が頭で変換できなくなり、めまいと動悸が止まらない。
入社からわずか3ヶ月。私は適応障害と診断され、休職することになりました。
その後、別部署に無理やり復職して1年半ほどは勤務できましたが、決定的な崩壊は突然訪れました。親族が急な困難に見舞われ、心理的な休息が取れなくなった時期と、会社の先輩が急に退職して大量の業務を引き継いだ時期が重なったのです。
そうしてパニック障害を発症しました。症状の進行は、適応障害の時よりもはるかに早く、たった3週間であっという間に悪化しました。
数歩先を歩くことすらできないほどのめまい。会社のエントランスで過呼吸を起こして倒れる恐怖。そしてついには、喉に強い閉塞感を感じて声が出なくなってしまいました。
かつて何十人もの生徒の前で国語の授業をしていた私が、朝起きて家族に「おはよう」すら言えない。家族に目の前の醤油を取ってほしいと伝えることすらできない。
それまでは心療内科で処方された薬を飲みながら勤務しようと考えていましたが、声が出なくなるほど追い詰められていたのだとようやく気が付きました。「もう休もう、けれどこのまま無職になったら、私の人生はどうなってしまうのだろう」。先が見えない絶望の中、私は3ヶ月の療養を経て、その会社を退職しました。
もう一度働きたい。「私と同じ境遇の人たちがいるかもしれない」環境への決意
退職後しばらくは、近所のスーパーでさえ強い圧迫感を覚えるほど、外に出られない日々が続きました。満員電車や人の多いオフィスなんて、到底考えられません。
そんな私を救ってくれたのは、家族の存在でした。実は親族の中に過去にパニック障害を経験した人がいたのです。「もう働かないで、今はしっかり休みなさい」という家族の理解と支えがあったからこそ、私は安心して療養に専念することができました。
体調が回復してきた頃、私は自分が社会から完全に切り離されてしまったような感覚に陥っていることに気づきました。
「自分の世界が家族だけになって、周りから取り残された気がする」「傷病手当の期限がもうすぐ切れちゃう」「アルバイトをしたいけど、体調面と収入面が不安...」。
様々な不安や心配に苛まれましたが、ひとつの決意を固めました。「声が出なくなるほどの経験をしたけれど、私にもう一度できることがあるなら、社会に貢献したい。もう一度、正社員として働きたい」と。
そんな折、インターネットで知ったのが就労移行支援事業所・キズキビジネスカレッジ(KBC)でした。
他の支援機関も調べましたが、キズキビジネスカレッジ(KBC)の「一般就労を目指す人が多い」という点は、病状が落ち着いてきた段階で生活への支障が少なくなってきた私にとって、非常に魅力的に映りました。
また、パニック障害を克服するために「通勤電車に乗って通所する」という訓練をしたかった私にとって、自宅から電車で通える横浜校はまさに理想的な環境でした。
さらに、代表自身がうつ病で退職を経験していることや、私と同じように一般企業で適応障害になり退職した方々の体験談を読み、「ここなら、私と同じ境遇の人たちがいるかもしれない」と背中を押されたのです。
「すべき思考」という呪縛からの解放 自宅以外の「もうひとつの居場所」へ
キズキビジネスカレッジ(KBC)に通い始めて、私の中で最も大きな変化をもたらしたのは「自己理解講座」でした。
心理学的なアプローチから、精神的に体調を崩しやすい人の特徴である「白黒思考(1回失敗したらもうダメだと思い込む)」や「すべき思考(こうでなければならないと思い込む)」を学んだ時、ハッとしました。
私はずっと、無意識のうちに「発熱もしていないのに休むなんて許されない」「女性ならこの年齢でこうしないといけない」「大学卒ならこう働くべき」と自分をがんじがらめにしていました。何も行動していないのに、何年も先の不安ばかりを数え、「こうなってはいけない」という恐怖に支配されていたのです。
失敗しないための「普通」の選択が、実は一番自分を苦しめていた。自分がなぜ体調を崩してしまったのかを理論的に理解し、「考え方の癖を知れば、次はきっと対処できる」と前向きに捉えられるようになったのは、大きな収穫でした。
そして、忘れられない出来事があります。定期面談の際、スタッフの方からかけられた一言です。
「Oさん、入所した時と比べて、話し方がすごく変わりましたね。しっかりして分かりやすくなりましたよ」。その言葉を聞いて、私は「ああ、かつて働いていた頃の自分に戻りつつあるんだな」と実感し、胸が熱くなりました。
キズキビジネスカレッジ(KBC)は、単なる訓練の場ではありませんでした。当時横浜校で実施していたプレゼンサークルで他の利用者やスタッフの方々とワイワイ話し合い、人前で発表して達成感を得る。そこは私にとって、自宅以外の「もうひとつの居場所」になっていました。
他人軸ではなく、自分のために選んだ「自分らしい働き方」
就職活動を迎えた時、私の仕事選びの軸は過去とは全く違っていました。
以前は「お給料が上がるから」「世間的にちゃんとして見えるから」「周りの人もそうだから」といった他人軸で選んでいました。しかし今回は、「たとえ環境が大きく変わっても、自分の力で切り開いていけそうか」「この職場で、この人たちと長く働きたいと思えるか」という、自分軸を何よりも大切にしました。
たとえば、「パニック障害の症状が出るかもしれない」という不安を軽減するために、満員電車に乗らなくてもいい時間に調整できるフレックス制や在宅勤務がある職場を意識するようになりました。
また、苦手な電話での顧客対応ではなく、得意な文章チェックや環境整備を活かせるバックオフィスの業務であることも重視しました。キズキビジネスカレッジ(KBC)で学んだ簿記の知識も後押しとなり、私は自分の適性を冷静に見つめ直すことができました。
そして出会ったのが、現在の就職先である教育系の会社です。
命まで取られるわけじゃない。今となっては全部が糧に
現在は、教材開発を行う会社の管理部総務課として、社内規定修正や契約書の作成など、社員のみなさんが働きやすい環境を整える裏方のサポート業務を担当しています。在宅勤務とフレックス制を活用し、心身に無理のないペースで働くことができています。
今の仕事の内容が私に一番向いていると感じました。1社目の事務業務に内容が近いのはもちろん、人のサポートや環境整備などが好きな私にとって相性が良かったんです。
何より、面接の時から感じていた「この人たちとなら一緒に頑張れそう」という直感は間違っていませんでした。適度なフレンドリーさがある温かい職場で、毎日充実した日々を送っています。
就職してからも、キズキビジネスカレッジ(KBC)の「就労定着支援」を利用しています。職場の人間関係で少し悩んだ時、スタッフの方に相談すると、共感しながら具体的なアドバイスをくれました。会社や家族以外に、私のことを理解して見守り、時に叱咤激励してくれる存在がいる。その事実が、私を孤独から救ってくれています。
今の私は、少しのことでは動じなくなりました。
適応障害になり、パニック障害になり、声まで出なくなった。あの絶望の日々を乗り越えたのだから、「仮にまた何かあっても、命まで取られるわけじゃない。私ならきっと大丈夫」と心から思えるのです。今となっては全部糧になっています。うじうじ考えたりぐるぐる悩んだりしても何も変わらない。行動することでしか自分を変えられない。今はそう思っています。
一歩踏み出すのを迷っているあなたへ
過去の私と同じように、今、暗闇の中で身動きが取れなくなっている方へ。
正直ただ通所するだけでは、魔法のように全てが変わるわけではありません。それでも、「もう一度社会と繋がりたい」「人とのつながりを持ちたい」「自分を変えたい」と思い、一歩踏み出す決断をすること。それ自体が、本当にすごいことなのです。
家にひきこもっていた状態から、いろんな人がいる場所へ行く。最初はとても怖いかもしれません。でも、キズキビジネスカレッジ(KBC)に通って自分自身と向き合い、小さな挑戦を繰り返していくうちに、気づけば「次はこうしてみたい」と思える自分がいるはずです。
少しでも迷っているなら、まずは話を聞きに行ってみるのもいいと思います。施設の中を少し覗いてみるだけでも構わないはずです。
「行ったらどうなるか分からないから不安」と立ち止まるのではなく、「とりあえず行ってみないと何も分からない」から。
あなたのその小さな一歩が、人生を大きく動かす始まりになることを、私は心から応援しています。
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