チームに支えられたからあきらめなかった。KBCで見つけた本当の自分と、働きやすい職場。 | キズキビジネスカレッジ

就労移行支援事業所 キズキビジネスカレッジ

チームに支えられたからあきらめなかった。KBCで見つけた本当の自分と、働きやすい職場。

Fさん(20代。画像はイメージです)
キズキビジネスカレッジ通所期間1年1か月。希望していたプログラミング職(システムエンジニア)として就職。就職後は定着支援も利用。

こんにちは、就労移行支援事業所・キズキビジネスカレッジ(KBC)卒業生のFです。

私は現在、中小IT企業のシステムエンジニア(SE)として、一般枠の正社員で週に5日(2日出社、3日在宅)、フルタイムで働いています。

働きはじめて半年が過ぎ、自信もついてきました。

そんな私ですが、学生時代から発達障害(ADHD)の特性に悩み続け、新卒で入社した会社では環境が合わずに適応障害にもなりました。

発達障害を理由に自分に自信がなかった私が、KBCのサポートと現在の仕事を通じて徐々に自信を取り戻すまでのお話をしたいと思います。

どこでもいいから受かってほしい、自己理解を深めずに進めた就活

どこでもいいから受かってほしい、自己理解を深めずに進めた就活

ADHD由来の生きづらさが明確に現れはじめたのは、学生時代からです。

海外に興味があったため、大学では国際学部に進学し、外交における政治学を専攻していました。

語学能力は高い方で、北京語を学ぶために台湾に留学することができました。

一方、苦手だったのは、提出物の締め切りを守ること、授業や人との約束に遅刻をせずにスケジュール管理をすること、マルチタスクをこなすことです。

レポートが求められる授業では期限内に提出することができずに、単位を落とすこともしばしばありました。

大学生時点ではADHDだと気づいていませんでしたが、振り返ると、これらがADHDの特性による苦労だったと理解できます。

学習意欲はあるのに基本的なことができない、そんな自分を情けなく思いました。

さて、私が台湾留学から帰国したのは、周囲がすでに就職活動を始めている時期でした。

出遅れて就職活動を始めた私は、限りある時間の中で、自己理解もままならないうちにとにかく走り続けなければいけない状況でした。

留学経験を活かしたいという思いと、営業職だった父親の影響もあり「海外と関わりのある会社の営業職」を探すことにしたのですが、なかなかうまくいきません。

「とりあえずどこか受かってほしい」と必死になり、結果として、大学4年の夏、機械メーカーの事務職(営業アシスタント)の内定通知をようやく受け取ることができました。

同級生たちはすでに就活を終えている中で、唯一いただくことができた内定。

ありがたく思う一方で、「ここしか選択肢がない」と思ったことを覚えています。

仕事を断ることができずキャパオーバーに。その後、適応障害になり休職

仕事を断ることができずキャパオーバーに。その後、適応障害になり休職。

やっとの思いで入社した私を待ち受けていたのは、業務内外問わず苦労の連続でした。

はじめに大変さを感じたのは、業務内容がマルチタスクだったことです。

日々の業務では、電話を受けたり、書類を書いたり、クライアントの対応をしたりと、常にマルチタスクに追われていました。

あせればあせるほど様々なミスをして、徐々に自信を失っていきました。

社風は体育会系で、業務後の飲み会や休日のBBQ企画は新卒が行うのが慣習だったこともあり、休日も職場の方々に気を遣いながら、場を取りまとめるのに必死でした。

そして次第に、仕事とプライベートの境がなくなっていきました。

当時の私は、「はっきり断ることができない新入社員」そのものだったと思います。

多くの業務が突然渡され、締切に追われるようになっても、上司からの「期待しているから、がんばってね」と言われると、断ることができません。

学生のころから自分に自信がなかった分、「一度断ったら『使えない人間』と思われるのではないか」と不安で、キャパオーバーとわかっていても引き受けざるをえなかったのです。

「上司に伝わったら困る」と思い、同僚にも相談できませんでした。

2年目になると、通常業務に加えて、新プロジェクトを担当することにもなり、業務量はより一層増えていきました。

そんな日々が5か月ほど続いた頃、ついに心身ともに悲鳴を上げました。

「会社に行きたくない。」

ある朝起きたら、頭の中は「会社を休みたい」という思いばかりで、気づいたら、匿名で話を聞いてもらえる相談窓口に電話をしていました。

担当者の方は親身に話をきいてくださり、自分の思考も整理されていきました。

「今の会社に勤め続けながら、状況を変えたい」と考えていたつもりだったけど、本心では「会社から一度離れた方がいいのではないか」と思っていたこと。

そして、ずっと誰かにこのつらさを聞いてほしくて、どうすればいいのか相談したかったこと。

これらに気づいた私は、すぐに病院へ行きました。

そして適応障害と診断され、休職のための診断書が渡されました。

当時は明日のことすら考える余裕がなく、ただただ診断書を上司に渡すしかありませんでした。

こうして新卒で入社してから1年半が過ぎ、休職にいたりました。

ADHDと診断され、長年の悩みの原因が明らかになった。その後、退職へ

ADHDと診断され、長年の悩みの原因が明らかになった。その後、退職へ

休職後は実家に戻り、適応障害の治療のために、カウンセリングに通いました。

ちょうどその頃、妹にADHDの診断がおりたんです。

それがきっかけで、インターネットでADHDについて調べたところ、自分にも思い当たる節があると思うように。

カウンセリングの主治医にそのことを話し、検査を受けたところ、私もADHDであることが判明しました。

診断によって、マルチタスクや時間厳守ができない悩みや生きづらさの原因が明かされたような感覚で、安心したのを覚えています。

その後も通院を続けて、体調は落ち着いていきました。

そして私は、退職することを決めました。

優しく頼もしいスタッフに惹かれ、KBCへ入所

優しく頼もしいスタッフに惹かれ、KBCへ入所

退職後は、体力回復のために3か月間のリワークプログラムに参加しました。

その後、キズキ代表の安田さんのTwitterで、KBCのことを知り、興味をそそられて面談と見学を申し込みました。

校舎の雰囲気は和やかで、面談担当者の林田さんからは明るく、優しく、聡明な印象を受けました。

その上で、「やることはちゃんとやります」といった心意気を感じました。

また、KBCには企業インターンの紹介や就職活動のサポートがあることにも惹かれました。

「フィーリングが合うから、ここで決めちゃえ!」と思って、その日のうちに入所を決めました。

自己理解を促進し、切磋琢磨できる仲間が集まるKBC

自己理解を促進し、切磋琢磨できる仲間が集まるKBC

KBCでは、自己理解や仕事に役立つ講義、就職サポート、頼りになるスタッフや利用者の仲間から、多くの学びを得ました。

まず、自己理解の一つとして、自分の体調の傾向を知ることができました。

心理を専門とするスタッフに体調を毎週報告することで、自身の体調にはどのような傾向があるのか、何が体調に影響しやすいのかなどを一緒に考えていったんです。

その結果、私には「初対面の方と話しすぎると疲労が溜まりやすい」という傾向があるとわかりました。

それまでは初対面の方への苦手意識に無自覚だったので「わけもわからずに疲れてしまう」と思っていました。

傾向がわかってからは、体調に合わせて適度に人との距離を取るようにし、過度な消耗への対策ができています。

次に、仕事に役立つ講義の中で特に印象に残っているのは、「ビジネス企画講座」です。

この講座では、利用者がいくつかのチームに分かれ、特定の課題を解決するためのビジネスの企画書を作成し、プレゼンテーションを行います。

バックグラウンドや得意・不得意が異なる人たちがチームを組むので、コミュニケーションや企画作成がスムーズに進まないことに悩むこともありました。

ですが、スタッフさんのフォローもあり、最終的には仲を深めながら課題に取り組むことができました。

自他の背景・特性を意識しながらのコミュニケーションや、締切を守る練習になりました。

同時に、「仕事」にブランクがある私にとっては、実際の業務の感覚を思い出す機会にもなりました。

KBCで出会った利用者の方々は、支えあう仲間でもあり、ときにはライバルでもあります。

通所中には一緒に食事をすることもありましたし、卒業した今でも大事な存在です。

KBCスタッフたちと、チームとして再就職に挑む1年間

KBCスタッフたちと、チームとして再就職に挑む1年間

KBCの就職サポートでは、KBCの担当者の方と毎週の面談を行い、戦略を練り、ES作成や面接準備を整えることができます。

私の場合は、スタッフの米倉さんが、1年間・毎週面談を担当してくれました。

米倉さんを一言でいうと、「メリハリが上手な方」。

普段は自分の素を出して気軽に話せるのですが、転職の話題では適度な緊張感を持つことができました。

一度とある会社の面接で、休職歴や病歴に関連して、とても落ち込むことを言われたことがありました。

そのことを報告した際、米倉さんも一緒になって悔しがってくれて、励ましてくれて、心が救われたのを覚えています。

その他にも、心理やキャリア相談を専門とする各スタッフからのサポートがあり、「私の就職のための、一つのチーム」ができていくことを実感しました。

チームで支えてもらった一例として、PDCAを回す力も鍛えてもらいました。

私は、自分のことを、「ADHDの特性の中でも衝動傾向が強く、計画を重視しない。その場の考えや感情で行動するタイプ」だと思っていました。

ですが、KBCで、講座や就活について戦略を立てて実行し、「チーム」の皆さんからフィードバックをもらい改善していくことを繰り返していくうちに、「計画は大事にしている。けれど、うまく実行できていない」のだとわかりました。

それに気づいてから、PDCAを上手に実行するための方法を学んでいくことができました。

これらの経験は、現在の仕事に活きています。

「チーム」の皆さんとは、様々な困難を共に乗り越え、深い繋がりを感じています。

希望していたプログラミング職に。KBCやインターンでの学びが結果に繋がった

希望していたプログラミング職に。KBCやインターンでの学びが結果に繋がった

話が少し前後しますが、KBCに通いながら、プログラミングを独学したり、オンラインのプログラミングスクールに1か月間通ったりもしていました。

そうするうちに、自作でアプリを開発するほど、プログラミングが好きになっていました。

また、ある企業で、1か月・フルタイムのインターンにもチャレンジしました。

インターンでは、自分の体力を把握でき、またビジネスコミュニケーションも学べました。

インターンは、「実際の業務」に不安を抱く人に、とてもオススメだと思いますね。

KBCの利用を始めたときの私は、障害者雇用や時短勤務で働くつもりでした。

ですが、KBCでの様々な講義と自己理解、プログラミング学習、インターンで自信がつき、一般枠まで幅を広げてみようと思うようになっていきました。

よって就職活動では、「プログラミングができること」と、「ADHDの特性と合う仕事(特に、前職で苦手だったマルチタスクのない仕事)」を軸にして、一般枠も障害者枠も含めて、企業を探しました。

現在所属する企業と出会ったきっかけは、IT企業に特化した就活マッチングサイトです。

人事の方から「いいね」をいただいたことで興味を持ち、履歴書を送付し、面接にいたりました。

二次面接ではオフィスに行き、代表の目の前で1日プログラミング課題に取り組み、そのプログラムについての私からの説明と、代表からのフィードバックが行われました。

特殊な選考方法ではありますが、代表は私の仕事の取り組み方を知り、私も代表や会社のことを知ることができるため、相互理解の場が丁寧につくられていることに安心感がありました。

こうして、私は内定をいただき、入社を決意しました。

現在の職場は、フラットな雰囲気で、気兼ねなく先輩方と話すことができます。

自分の時間も大切にするタイプの人たちが多いので、プライベートと仕事を分けて休むことができ、私にはバランスがよい会社です。

定着支援も活用し、無理なく職場に適応していくように

定着支援も活用し、無理なく職場に適応していくように

現在は、システムエンジニアとして、システムのバージョンアップ前後の動作確認やシステム設計書の修正など、サーバー周りの業務を担当しています。

前職の頃からExcelが好きだったこともあり、ものづくりや資料作成が楽しく、気づいたらのめり込んでいるほどです。

自身のADHD特性も活かすことができていると感じます(ただし、過集中には気をつけています)。

プログラミングでは、1文字でも間違ったことを書くとエラーになり、システムが動かなくなります。

そこに苦労する人もいるでしょうが、私の場合は、様々なところに視線がいきやすい特性がよい方向に働き、細かいミスにも気づきやすいです。

一方で、業務に支障をきたす特性には、KBCで教わった工夫で対処しています。

例えば、時間の見積もりが苦手なので、作業ごとにタイマーで時間を計って記録することで、類似作業に取り組むときの参考にしています。

他にも、光るタイマーをパソコンの横に置いておくことで、「今の作業に使っていい時間」を決めています。

これによって、「過集中になって、1つのエラーに時間を使いすぎて、上司への報告が遅れる」という事態に備えることができています。

また、業務上の悩みや不明点を頭の中だけにとどめておくと忘れることもあるので、一度メモに書いてから次の行動に移るよう心がけています。

就職後も、KBCの定着支援が役立っています

就職後も、KBCの定着支援が役立っています

就職直後は体調が心配なときもあり、米倉さんやスタッフの方に相談し、客観的に自分を見ながら解決策を考えることができました。

そうした支えもあり、働き始めて半年以上が経ちます。

体力的に慣れてきて、さらなる自信もついてきているところです。

直近の目標は、今よりももっと安定しながら働くこと。

まずは2、3か月先を見通せるようにしたいです。

将来的には、プログラミングの仕事を続けながら海外に住む…という理想も持っています。

自分の「やりたい」を尊重してくれたから、理想の働き方をあきらめなかった ​

自分の「やりたい」を尊重してくれたから、理想の働き方をあきらめなかった

こうしてKBCでの日々を振り返ると、スタッフの方に「こうしなさい」「それはやめなさい」と言われたことは一度もないことに気づきました。

いつも「私がどうしたいのか」を尊重し、応援してもらった記憶ばかり思い浮かびます。

私にとってのKBCは、「自分の『やりたい』をサポートしてくれる場所」です。

過去の苦しい思い出や、新型コロナウイルスによる不安が拭えなくても、KBCは常に私の味方でい続けてくれたからこそ、今を前向きに語ることができています。

「自分の取り扱い説明書を知ることで、苦手なことを避けられるようになったよ。今もまた別の大変さはあるけど、大丈夫。自信を持ちながら、生きていけるよ。」

周囲の顔色をうかがい、自分を消耗するがんばり方しかできなかった過去の自分に対して、そう伝えたいです。

いまお悩みのあなたも、ぜひKBCに一度相談してみてください。

きっと、将来が広がっていくはずです。

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