KBCで「自分のこと」を理解できたから、笑顔で働く今がある
Y.Mさん(30代)
キズキビジネスカレッジ利用期間1年1か月
大東コーポレートサービス株式会社(大東建託株式会社 特例子会社)
大東コーポレートサービス株式会社 RPA推進事業部に所属し、アシスタント契約(パートタイム)で週5日(4日出社、1日在宅)働いています。次のステップでフルタイム勤務になる予定です。
RPAとは、「コンピューター上で行う作業を自動化する技術」のことです。
入社以来、プログラマーとして、RPA導入用のソフトウェアのシステム化を担当していますが、入社まではプログラミング未経験者でした。
学生時代の就職活動は上手くいかず、新卒で入社した会社は2か月で休職。その後転職を繰り返し、うつ病とADHDを診断された私が、キズキビジネスカレッジでの学びを経て、現在は想像もしていなかったプログラマーに。
今回は、そんな私の道のりについてお話ししたいと思います。
目次
違和感は幼少期から。就活では「自分のこと」がわからず苦労
幼少期は、学校での「決められた時間に決められたことをする生活」が得意ではありませんでした。
他にも、折り紙や卓球・バトミントンなどのスポーツや、国語の「登場人物や作者の気持ちを想像する問題」を解くのが苦手で、「クラスメイトはできているのに、なぜ私はできないのだろう」と悩んでいたのを覚えています。
今思えば、ADHDの発達特性に由来する違和感だったのかもしれません。
大学は経済学部に進学しました。それまでの学生生活と異なり、時間割や登校日数を自由に決められるようになったことで、「生きやすくなったな」と感じていました。
大学生活そのものには特に困りごとはなく、穏やかに過ごしました。
ですが、就職活動には苦労しました。
就職活動で一番大変だったのは、自己理解と自己PRです。
まず、「履歴書や面接では、自己理解をした上で、PRもしなければいけない」ということをきちんと理解していませんでした。
もちろん、全く考えなかったわけではありません。
ですが、「自分はどういう人間で、これまで何に取り組んできたのか」は、一人で考えてもまとまらないままでした。
加えて、業界や会社選びの軸も定まっていませんでした。
当時は、「自宅から通える距離の会社の事務職」という条件で探し、とりあえず応募して選考に進む…というくらいの感覚で取り組んでいました。
最終的には、苦労しながら空白欄のない履歴書を作成し、飲食店を経営する会社に正社員として就職。
学生の頃にアルバイトをしていたこともある「店舗スタッフ」の職種で働き始めました。
2か月で1社目を退職。その後も退職と転職を繰り返す
入社した私を待っていたのは、想像よりもはるかに過酷な日々。
細かい業務マニュアルは用意されておらず、「人の仕事を見て要領よく学ぶ」ことが求められる職場で、右も左もわからぬまま社会人生活がスタートしました。
アルバイトで経験した分野の業務はスムーズにできるものの、数多い未経験の業務は手こずってばかりで、失敗を繰り返していました。
「厳しく育てる」という方針を持つ上司からは常に強く注意され、徐々に自信を失っていきました。
優しく声をかけてくれる方もいましたが、周囲からの視線にもおびえ、小さなミスでも自責するように……。
心身ともにぐったりしながら帰宅し、休んでも疲れは取れずにたまる一方で、とうとう体調を崩しました。
苦労して入社した会社ですが、2か月で退職することを決めました。
その後も、転職エージェントを利用したり、自分で求人を探したりして、就職することはできました。
しかし、どこも長く続かず、転職を繰り返します。
耐えられるか耐えられないかの瀬戸際まで働き、体調を崩して退職、新たな職場を探し始める…という流れを何度も経験しました。
合計で9社ほど経験しましたが、どれも平均1年ほどで辞めています。
「一つの職場で長く働きたい」と、思ってはいました。
ですが、精神的にも体力的にも「この職場で働き続けるのは困難だ」と感じる機会があると、「このままでは、また体を壊すのではないか」と不安になり、自信もなくしていたんです。
また、特に変化が多い職場では「適応すること」に力を多く使うことになるので、業務に集中することが難しかったですね。
うつ病とADHDの診断。スキルを身につけるためにKBCへ
2017年、やはり職場の関係で自信がなくなる中で、うつ病と思わしき症状が徐々に現れるようになり、心療内科に行くことにしました。
そこで同時に、ADHD(注意欠如・多動性障害)の検査も受けました。
以前、知人から「落ち着きがないことや空気を読むコミュニケーションが得意ではないことなど、発達障害に似た特性があるのではないか?」と言われたことがあり、調べてみたいと思ったからです。
メディアで発達障害という言葉を目にする機会も増えていたため、多少の知識はありました。
そして検査の結果、ADHDだと診断されました。
幼少期から抱いていた周囲との違いや違和感の理由を知ることができ、まさに腑に落ちた感覚でした。
「私は単なる変人ではなかったのか」と救われた気持ちになったのを覚えています(笑)。
うつ病の診断もおりたため、当時の仕事を辞めることにしました。
そのとき、「同じような転職をして、また体調を崩して退職…という生活は、もう繰り返したくないな」「ただ転職するのではなく、長期的に働けるようになりたいな」と考えるうちに、「就労移行支援」が浮かびました。
そして、インターネットでキズキビジネスカレッジ(以下、KBC)を見つけ、「専門的なスキルを身につけることができる」という部分に惹かれて面談を申し込みました。
初回面談は、KBC責任者の林田さんが担当でした。林田さんの、私の話を親身に聞きながら、その内容をものすごい速さでPC入力していく姿に衝撃を受けました(笑)。
また、KBCは、型にはまらずに自分が学びたいことに集中できるところも、とても魅力的に映りました。
仕事をする上では、他の事業所のプログラムのように「決められていることをきっちりとこなす」ことも大事であると理解しています。
ですが私には、小・中学校のように決められた時間割で時間通りに学ぶスタイルは、やはり窮屈に思えてしまって……。自由度が高いプログラムの方が向いていると思い、入所を決断しました。
KBCには毎日通えて、スキル獲得とともに「自分のこと」がわかるようになった
仕事では常に体力面が心配だった私ですが、KBCには、最初から週に5日通うことができました。
精神面でも困りごとがあったことはなく、相性がよかったように思います。
入所前に興味があったのは会計スキルなのですが、入所後は、全般的に様々な講義に出て、自分に何が向いているのかを模索するように。
気づいたらMOS講座やビジネス企画講座など、他の分野への興味や関心も強まっていました。
KBCで学んだ、プレゼンテーションやワード・エクセルなどのスキルは、現在の仕事に役立っています。
また、KBCは、「自分」や「障害・特性」を知ることに繋がる講義が多いことも特徴です。
私自身について、「無理をしたらすぐに心身に影響が出る」「考えごとをすると体力を多く消耗する傾向がある」「睡眠は、時間だけでなく、質も意識しないと体力を回復できない」などがわかりました。
自分についての理解が深まることで、学生時代に苦労していた自己理解・履歴書作成に役立つとともに、「仕事」以外の部分でも今後を生きやすくするためのポイントを知ることができました。
大東コーポレートサービスのインターンで面倒見のよさに感動してエントリー、採用
KBCでスキル学習や自己理解を深めつつ、一般枠ではなく障害者雇用枠での就職活動を開始しました。
そんな中、大東コーポレートサービス株式会社がKBCで開催した会社説明会に参加して、同社に興味を持ちました。
加えて、同社のプログラマー職のインターンを、KBCのスタッフさんから「ひとつの作業に集中して取り組める業務がMさんに向いているのではないでしょうか。また、選考に進む前に、実際の業務や雰囲気を体験できますよ」と紹介してもらい、そちらにも参加することにしました。
インターンでは、5日間オフィスに出社して、実際に行うプログラミング業務の実習を行いました。
業務中に上司の方から受ける説明の丁寧さや面倒見のよさに感動しながら、順調に取り組むことができました。
正直なことを言うと、インターンに参加するまでは、プログラマーとして働くことは想定していませんでした。
それでも、人を大事にする温かい社風や人柄に惹かれ、ここなら無理せずに続けることができるのではないかと思えたのです。
インターンを終えて、期待を胸に、迷わずエントリーしました。
エントリーシートや面接の対策は、KBCでの履歴書の作成練習や面接の想定問答が役立ちましたね。
そして私は、採用となりました。
今の職場では心身が安定。やりがいがあり、「あまり苦労することがない」と思えて幸せ
入社当初は体力面を考慮していただき、週5日、1日6時間から働くことに。
問題なく一定期間経ったら、主治医との相談を通じて30分ずつ勤務時間を延ばしています。
次のステップでは、フルタイムになります。
順調に勤務時間を延ばすことができているので、心身ともに安定できていると感じます。
現在は、入社して7か月ほど経ちました。
インターン中に感じた印象と変わらず、様々な方に支えられて今に至ります。
ここまで手厚く優しい会社に出会ったことはありません。
普段はRPA推進事業部の方々に、日常業務のサポートをしてもらっています。
例えば、毎日朝と夕方にある一対一ミーティング(各15〜20分ほど)の中で、体調や気分の共有、仕事内容や通院や行政手続きなどの事務的な確認をしています。
就業後には、日報を提出し、コメントもいただいています。
月に1度、雇用推進室との面談や、KBC担当者の方による職場定着へのサポートもあるので、精神面でも困りごとはなく過ごせています。
これまでの人生を振り返ると、「あまり苦労することがない」と今思えていることは、とても有難いことです。
未経験者のプログラマーではありますが、働くうちに、実は機械系の仕事が好きな性格であることも発見しました。
普段の私は、興味がないことに対しては「どうでもいいや」とすぐにあきらめることが多いのですが、機械やシステム周りの話になると、探究心が強くくすぐられ、もう少し調べてみようと思えるのです。
自分が担当したプログラムが正常に動いているのを見ると、安堵感に包まれ、やりがいを感じます。
健やかに働き続けるために、休憩中はしっかりと休むことを意識しています。
在宅で仕事していると休憩中も思わずパソコンを触り続けてしまうので、自らを追い込みすぎないよう、散歩や買い物をしてメリハリをつけることもあります。
将来の目標は、「無事に生きる」こと。着実に仕事を継続できるように、心身ともに健康で働き続けることが今の一番の願いです。
KBCは、「より心地よい人生」のために必要な場所だった
KBCのプログラムを通じてわかった「私」という人間。
それは、「無理をしたらすぐに壊れてしまうもろい人間」だということです。
だからこそ、これからはもろい自分を丸ごと大切にして生きていきたいと思います。
弱い部分を知ることは、自分に合う環境・生活を知るということ。
そうして新たな一歩を踏み出し、今を笑顔で過ごす私がいるのです。
KBCを利用するまで、わけもわからずがむしゃらに走り続けていた自分には、「自分を責めすぎないで」と伝えたいです。
KBCのスタッフや他の利用者さんは、尊敬する仲間です。今でもときどき近況報告をしたりして、繋がりが続いて嬉しいですね。
特に利用者さんには、障害や背景も様々で、頭の回転が速かったり高いスキルを持っていたりする方もいて、多様な人が多い印象です。
私にとってのKBCは、就職のための専門的なスキルを学び、就職までのサポートをしてもらっただけの場所ではありません。
KBCは、「自分とは何か?」の言語化を通じて、より心地よい人生を歩むために、欠かせない場所だったのだと思います。
企業さまへのインタビュー
何事も前向きで生き生きとした働きぶりを見続けたい
雇用推進室 課長 松原様
RPA推進事業部 炭田様
Y.Mさんはもともと社会人経験がある方なので、仕事面での不安は一切なく勤務を開始できました。
体力面に関しては、多少の心配はあったものの、計画的に勤務時間も延ばし、現在はフルタイム一歩手前なので、心配することは何もありません。
よく話す気さくな方で、仕事内容も選り好みなくすべてに取り組んでいます。
面談でも、積極的に仕事に励んでいることを笑顔で伝えてくれていて、生き生きとしています。
Y.MさんはKBCに入所当初から週5日通っていたとのことですが、Y.Mさんのご自宅からKBCまでは長時間電車に乗って通わなければいけないので、体力に自信がない中で通い続けていたことに驚き、努力家なのだと感じました。
そこまでしてKBCに通いたかった理由には、スタッフの方々による利用者さんへのまなざしや、その根本になるキズキの企業理念やミッションが影響しているのだと思います。
弊社は、「障がいの特性に配慮し、社員が活躍できる仕組みづくり、また社員が安全に、快適に働けるよう職場環境づくり」に力をいれています。
特にコミュニケーション方法への配慮を意識していますが、それは障害の有無に限らず、人が働く上で欠かせない要素です。
弊社とY.Mさんの相性のよさは、KBC担当者の方のマッチングによるものだと考えています。
求人を行う企業と、就職したい利用者さんを機械的にマッチングするのではなく、KBCでは弊社の社風や大切にしている価値観や仕事内容を理解し、Y.Mさんの人柄や強み・弱みを考慮した上で、マッチングしている。
そうした過程の一つひとつがよい結果に繋がっていると思います。