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「つらかったあのころ、くり返したくない」。かつて不登校だった母親が、息子の不登校を受け入れるまで

 ライター・宮國実加さんのご家族は「学校に行くか行かないか、子どもたちが自分で選ぶ」という「自由登校」を実践されています。ただし、自由登校に至るまでには、さまざまな葛藤があったと言います。長男が不登校した際には、無理やり学校へ連れていくことも考えたという宮國さん。しかし、それを押しとどめたのは、宮國さん自身がかつて不登校で、そのときの苦しい経験を、息子にまでさせたくない、という思いでした。(連載「自由登校のわが家」第2回

* * *

 前回、わが家の自由登校について書かせていただきました。毎週末、小学3年、5年、6年の3人の息子たちは学校へ行く日を自分で決め、通っているのですが、最初から心穏やかに今のような登校スタイルになったわけではありません。きっかけは、長男の不登校でした。

 長男が小学校へ入学したばかりのときでした。保育園のころから小学校への入学にあこがれ、ピカピカのランドセルがうれしくて、はしゃいでいた長男でしたが、その希望はあっという間にしぼんでいきました。
 
 その理由は給食にありました。苦手な野菜があって食べることができないと言っても、怒られて食べさせられる。最初のうちは息子もがまんしていましたが、次第に学校に行きしぶるようになりました。入学書類や連絡帳などで、「苦手な野菜があるので強要しないでほしい」と給食の配慮をお願いしていただけに、親としても残念でなりませんでした。

 朝は私が車で学校まで送り、給食の時間になる前に早退する。そんな日々が始まりました。学校を丸1日休む日も増えていきます。

 私は、近所の子どもたちが元気に登校する姿を見るたびに恨めしく感じ「とにかく周囲の子どもたちと同じように学校へ行ってほしい」という焦りがつのりました。

みんなからわが家だけ外れて

 学校を休んでいる息子を見ると、まるで海の中を泳ぐ大群の群れからわが家だけ外れ、暗い深海に向かって逆走しているような気分でした。

 朝、息子が「学校へ行きたくない」というたびに、私の中でさまざまな葛藤が湧き起こりました。息子への対応の選択肢として、真っ先に思い浮かんだのは以下の3つ。

  1. 「甘えてないでガマンして学校に行きなさい。まわりのお友だちはちゃんと行っているのに、どうして行けないの? もう小学生なんだから。学校は行かなければいけないところなんだから。弱い子だね、もっと強くなりなさい」。このたぐいのワードをくり返して怒鳴る。
  2. 無理やり学校へ連れて行く。
  3. 言うことを聞かなければ叩く。

 これらの選択肢が思い浮かび、思わず口や手が出そうになった瞬間、自分の中にいるもう1人の私がギリギリのところでブレーキをかけました。「それを言ったら、それをやったら、あのときのお母さんと同じになっちゃうよ」と。

 そう、実は私自身、小学校低学年のころ不登校をしていたのです。そのころ母親や親戚が私にしてきたことは、忘れられません。「本当にダメな子」、「頭がおかしい」と言われ、力ずくで車に押し込まれ、学校へ連れて行かれました。私がかつてあれほど嫌だったことを、今、最愛の息子にたいして衝動的にやってしまいそうになった自分を恐ろしく感じました。

 私の気持ちが冷静なときは「自分がされて嫌だったことは子どもには絶対にしない」と心底思うのです。でも、心の奥の無意識の領域にまではびこった他者からの言葉やつらい経験が、とっさに私の口から出そうになります。私の言動が愛する子どもたちへの凶器となり得ることに、不甲斐なくてくやしくて、涙が出ました。

【連載】自由登校のわが家
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