ひきこもりの僕が感じた親がやがていなくなる不安

連載「ひきこもって見えてきた道」vol.5

 僕は小学5年生のころに学校へ行くことが苦痛になっていた。父の説教で嫌々ながら登校していたが、その後、両親が離婚した。

 父親には子どもは任せられないと、僕たち3人姉弟を母がひきとった。そして厳しい父から解放され僕は不登校となった。

 母は学校へ行かない僕に「行きなさい」とは言わなかった。日常会話はするが学校に関することはとくに何も言わなかった。それが僕にとっての救いだった。

 毎朝、母が働きに出かける際に玄関の扉が「バタン」と閉まる音を聞くたびに僕は心のなかで「今日も学校に行けなくてゴメンナサイ」と母に謝った。

 そのことは後々になるまで母親本人には伝えなかった。言えばつらい思いをするのは母だとわかっていたからだ。

 そして母が「学校へ行きなさい」と言わなかったのは、僕が今、もっともつらい状況であることがわかっていたからだと、だいぶあとになって聞いた。

【連載】ひきこもって見えてきた道
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