子の不登校でどん底だった私が11年経って今、心から思うこと【全文公開】

 新連載「不登校は幸せへの道」を掲載します。「私は最悪な母親でしたが、不登校になった息子のおかげで今は一番幸せです」と語る後藤誠子さん。そう思えるようになるまでの軌跡を書いていただきます。

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 私が「不登校・ひきこもりの子を持つ母親」という看板をかかげて活動を始めてから、もう3年が経とうとしている。今、行なっている活動は本当にさまざまだ。ブログを書く、ラジオ番組をつくる、イベントを開催する、不登校・ひきこもりの親からの相談を受ける、親の会の運営、誰でも来られる居場所の運営、不登校・ひきこもり関連の講演などなど。

 しかし、次男が不登校になったばかりのころの私は、まさかそんな日が訪れるとは夢にも思っていなかった。学校へ行かないなんてありえない。次男の人生はもう終わってしまった。なぜ自分だけがこんなひどい目にあうのだろう、自分が一体何をしたというのだろうと、そればかり思い、挙句の果てには次男を殺して自分も死のうと何度も考えた。

 学校へ行けない次男の思いなどいっさい知ろうとはせず、ただ自分をあわれみ、学校や世間を憎み、私を困らせる次男を恨んだ。世界で一番不幸な母親は私だと心の底から思っていた。

 ところが今の私はどうだろう。53年間生きてきて今が一番幸せと断言できる。不登校・ひきこもりの親なのに。いや、不登校・ひきこもりの親だから幸せなのだ、と胸を張って言える。次男が不登校・ひきこもりになってくれなかったら、今の私はいない。次男には本当に感謝している。

 最悪な母親だった私が、なぜ、どうやって変わってきたのか。何があって今のような心境にたどり着いたのか、それをこれからつづっていこうと思う。

 過去に起きたことを思い出し、掘り起こしていく作業は、もしかすると楽しいことばかりではないかもしれない。むしろつらい作業かも。それでも私は書きたい。ひとりでも多くの人に「あなたはひとりじゃない、きっと大丈夫」と伝えたいから。私たち親子の物語が誰かの心のよりどころになれたなら。そんな思いで書いていく。

 あの夏、私たち親子に何が起きたのか、書くならやはりそこからだろう。あたりまえの毎日にヒビが入った日。あれは11年前、暑い暑い夏の日だった。(つづく・後藤誠子)

■筆者略歴/後藤誠子(ごとう・せいこ)
次男の不登校・ひきこもりを経験したことから、当事者を地域で支え合う「笑いのたねプロジェクト」を立ち上げ活動中。

(初出:不登校新聞562号(2021年9月15日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)

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