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「子どもを殺して自分も死のう」ギリギリまで追い詰められた私が取った行動【全文公開】

 次男が学校へ行けない。そんなことは恥ずかしくて誰にも言えなかった。スクールカウンセラーは「まず本人を学校へ連れてきて」としか言わない。県の教育センターに相談しても「生活リズムを整えて」と、あたりまえのことしか言ってくれなかった。離婚をして母子家庭だった私には、相談できる身内といえば離れて住む両親しかいなかった。

 「今日も学校へ行ってくれなくて」と私が言うと、母は「何言ってるの。わがまま言ってるだけでしょ。引きずってでも学校へ連れて行きなさい」と大きな声を出す。そんなことを言ってほしいんじゃない。毎回電話するたびにおたがいケンカ腰になり、疲れ果てて電話を切った。「遠くの寄宿舎のある学校に入れたらどうか」、「お祓いしてもらったらいいんじゃないか」。そんなことまで言われるようになった。私はどんどん孤立していった。

 近所のスーパーに買い物に出かけるのも怖くなった。次男の同級生の親に見つかって次男のようすを聞かれるのがイヤで、隠れるようにして買い物をした。通勤中に見かける楽しそうな学生たち。彼らの姿を見るだけで情けなくて涙が出た。なぜ自分の子どもはあの子たちと同じことができないのだろう。どこか悪いところがあるのではないか。病院の診断書があれば長期欠席あつかいにはならないと学校から言われて、精神の病院に次男を連れて行ったのもこの時期だ。学校には行けないのに病院にはすんなり行けた次男に、医師ははっきりと告げた。「どこも悪くない。診断名は付けられない」と。帰宅した次男が一言だけつぶやいた。

 「病気ならよかったのに」。

 私はこのときも次男の言葉に込められた思いにまったく気づけなかった。私自身、気持ちを病んでいたのだと思う。次男との朝の戦いのあと、私はひとりで学校へ行くようになった。先生方に現状を訴える。アポなしで校長に会いに行き、なんとかしてくれと迫ったこともある。学校からしたら相当なモンスターペアレントだったろう。もう次男の人生は終わってしまった。元のレールには戻れない。次男を殺して自分も死のう。深夜、包丁を片手に次男の部屋に行き、枕元に立つ。日中は能面のような顔の次男が穏やかな表情で寝息を立てている。急にもうしわけない思いが湧いてくる。次男の人生を壊してしまったのは私だ。泣くことすらできずに、ただ静かに部屋を出た。(後藤誠子)

後藤誠子さん


■筆者略歴/後藤誠子(ごとう・せいこ)

現在岩手県で当事者を地域で支える「笑いのたねプロジェクト」を立ち上げ活動中。

(初出:不登校新聞565号(2022年11月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)

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