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私は不登校教員になった 6年目で高校を辞めた元教員が不登校の子どもからの問いを受けとめ続けた40年

 教員として高校に勤めながら、勤務先の学校へ行けなくなってしまったことがあるという中島浩籌(ひろかず)さん。「不登校教員」となってから、不登校の子どもとのさまざまな出会いを通して、不登校とはなんなのか、学校とはなんなのか、考え続けてきました。(連載「今『不登校』を問うために」第2回)※写真は中島浩籌さん

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 こんにちは。以前「不登校50年証言プロジェクト」などでお話をさせていただいた中島浩籌です。私は1977年から6年間、東京の都立高校で教師をしていました。学校は楽しかったのですが、何人かの「不登校」生徒と出会い、学校を長期にわたって休むことを「問題」と捉えてしまうような学校教育への疑念がだんだん積もっていきました。

 6年目の4月、新しい学校に赴任した際、自身の身体にもそれが現れてきたのです。朝、脱力感が強まり、起きられなくなり、私が出会った「不登校生徒」と同じ症状が出てきてしまったのです。

【連載】今「不登校」を問うために
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