9人家族の私たちが学校に頼らず「ホームスクール」を始めた理由【全文公開】

メイン画像:「フリースペース えん」で工作をする生駒家の子どもたち

 生駒知里さんは、ホームスクールで子育てをされているお母さんの一人です。お子さんの人数は、なんと7人。なぜ生駒家では、ホームスクールを始めたのかをうかがってきました。(聞き手・石井志昂/編集・小山まゆみ)

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 一時は子どもたち全員が家に居ましたが、今は完全に家に居るのは14歳の長男だけ。10歳と8歳の子は週4日は神奈川県川崎市にある「フリースペースえん」(以下「えん」)に通っていますし、12歳の子も週に半分は「えん」へ。4歳と3歳の子は保育園に通っています。わが家の学齢期の子どもたちはみな、おもには学校外の学びの場で育っています。

 ホームスクールを始めたきっかけは、長男の不登校です。小学校1年生の秋に、「学校って、やめられないの?」。そう言われたのが始まりでした。そのときはさらりと流して終わったのですが、1週間~2週間すると「自分に合わないところだとわかったから、やめる」と言われ、これはたいへんだと思いました。

 長男はやりたいと思ったら、自分で納得するまでやり通すタイプ。親からのかんたんな説得では納得しないだろうと予測できたからです。学校のどういうところが嫌なのかを尋ねると、彼の言い分はこうでした。

 「自分の学びたいことを、自分の学びたい量、自分の学びたいときにやりたい。強制されるのは好みじゃないんだ」。

 好みじゃない……ね。返す言葉が見つかりませんでした(笑)。学校は、自分とちがう同級生から社会性を学ぶ場所だよと諭す私に対して、「弟と僕とはちがう性格だよね。学校へ行かなくても兄弟からだって学べるよ」。これが彼の主張です。

 私としても反論のしようがなかったのですが、ほかに通える場も近くになく、学校以外で行く場所がありません。けれども夫は「とにかく、学校は行くものだ」と言い、休ませることに反対しました。無理に学校へ連れて行くうちに、長男は9月なのに「寒くてたまらない」と言うようになりました。

限界に達したわが子の叫び

 これはまずい。そう思っていたある日、長男は学校から帰ってくると包丁を出してこう言いました。

「俺を刺してくれ」。

 本気だったと思います。長男はもともと性格が激しく、癇癪を起こす子でした。以前にも、イライラが募ると鉛筆をボキボキ折ったり、2階から飛び降りようとしたことがあり、状況は明らかに悪化しています。これ以上、学校に連れて行くと、命に関わると思いました。

 ちょうどそのころ、私は近所に住む親どうしで未就学児の自主保育を立ち上げたばかりでした。そこでまわりの人にも相談し、学校へ行けない日は長男も下の子たちといっしょに自主保育の場へ。学校には担任の先生に会いに、週に何回か放課後に足を運ぶという生活が始まりました。

 その当時、わが家には自主保育で知り合い、なかよくしているお宅がありました。お母さんは元幼稚園の先生で、家にも親子でよく遊びに来てくれて、子育てのグチも聞いてもらっていました。ある日のこと、長男が台所にある塩を見て、いつもの調子で「塩ってなんでキラキラしているんだろう?」と言いました。

 こういうことはわが家で1日に何回もあることで、私としては「まーた、どうしてどうしてが始まった」と思ってましたが、幼稚園の先生だったお母さんは、こう言ったのです。

「すごいね、 塩を見ただけで、キラキラするって考えられるんだ!」。

 私にとってこのリアクションはものすごく新鮮でした。「どうして、そう思えるの」、と。彼女は、いつも楽しそうに子育てをしていました。一方の私は、若干個性の強い長男の子育てを「なんでこんなにたいへんなんだろう」と思ってばかり。その一方で「たいへんだ」「育てにくい」と思っていること自体もすごくいやでした。

 私みたいに、子育てがあまり上手にできないお母さんに育てられているなんて「うちの子たちはかわいそうだな」、そんな罪悪感のようなものもずっと感じていました。

 でも、彼女のリアクションを見て、ヒントを得ました。そっか、自分の目線をいったん横に置いて、子どもと同じ目線に意識的に立って見るんだ。そうすると、だんだん子育てが楽しくなってきました。

理科の先生から顕微鏡の使い方を教えてもらっているようす

 長男はその後、石にハマりました。あるとき、庭の石を割ってみたら、石の中がシマシマになっていたことが興味の始まりです。「シマシマなのはなぜ?」というところから、私も長男といっしょに探究をスタート。「どうして」「なんで」がいっぱいだったので、石の写真を撮っては科学博物館にメールを送り、学芸員さんからお返事をいただいたこともありました。

 放課後に学校へ行ったとき、長男は先生に石の標本を見せてもらいました。石が好きだとわかると、自主保育のお母さん仲間から桜島が噴火したときの石をおみやげにもらったり、まわりのみんなから石をもらうようになったんです。その石を集めて長男は標本をつくりました。あるときはいっしょに地層を見に行ったりもしました。

学びのドア、次々と開く

 石をきっかけに泥岩や砂岩を知り、変成岩や堆積岩がわかるようになると、長男の興味の対象はプレートに移りました。そして、地震のメカニズムを調べていくうち、今度は公園の水たまりで自主保育の子たちと世界地図をつくり、金属に興味を持ち……。いろいろなきっかけから学びのドアが次々に開いていきました。

 このころには私自身もワクワクした気持ちで長男の興味につき合っていました。自主保育のお母さんたちも見守ってくれていたことから、長男といっしょに「知るおもしろさ」を楽しみ始めたのです。

 小2の4月、長男は本人の希望で一度、学校に戻ります。感受性の高い子なので、自分がどう動けばまわりが喜ぶかを感じていたのでしょう。本人も一生懸命に学校に適応しようとしていました。でも、なかなかそれができない。

 ちょうどこのころ、幼稚園の先生だったお母さんが遠くへ引っ越してしまい、わが家の下の子たちも自主保育を退会しました。私が長男の登校につき添うと自主保育の当番ができず、両立が難しくなったためです。

 しだいに長男はパニックを起こすようになり、秋ごろから再び不登校に。彼は発達でこぼこがあったことから、これを前後にして私たち親子は2つの病院とつながることになります。病院の判断はバラバラでした。A病院では「普通級に入れたのがまちがいだ」と言われ、B病院では、「すごく頭のいい子で、この子はお母さんにあわせているだけ」と言われました。

 ショックでした。どうしたら学校になじめるのか、一生懸命にがんばっていたけど、がんばっても、あちこちから「こうしておけばよかったのに」と否定される評価がついてしまう。しかも指し示される方向がバラバラで。そのとき初めてうつっぽくなり、「死にたい」というワードが頭のなかに響いてくるようになりました。

寝込む私の耳に子の笑い声が

 その後、私は3日間ほど寝込んでしまったのですが、シクシク泣いていると、隣の部屋から子どもたち4人の遊び合う笑い声が聞こえてきました。「え? 私がこんな状態なのに」。そのとき、気づきました。私は子どもたちがこうして笑っているだけでよかったんだ。私は何も失っていなかったんだ、と。

 まわりに評価を求めても、結局はその人の価値観で測れる他人軸でしかありません。「自分軸」では、どういう子育てをしたいのか。答えはもう出ていました。それは、この子たちがイキイキと育っていけるということ。それが自分軸だということに、このときはっきり気づいたのです。

 その後2番目~4番目の子どもたちも、小学校低学年で不登校になりました。現在は「えん」に行く子は保育園の子と同じ時間に家を出て、お迎えは夕方。思春期に入った長男の起きる時間は比較的バラバラです。

 家に居る子は、勉強する、動画を見る、本を読む、パンをつくる、植物を育てる、木工をする、野外でトカゲや川エビをとってくる……など 、それぞれ好きなことをしてすごしています。決まったスケジュールはなく、その日そのときによっていろいろです。

生駒知里さん

 長男が小5のときに『多様な学びプロジェクト』を立ち上げたので、オンライン講座のある日はこれに参加する子もいます。家でテーマを立てて、探究学習のようなことをやることもあります。

 子どもたちを見ていて感じるのは、その子が今必要とするものは、その子の心や脳が選んでいるのだろうなということです。自分が必要としているものに出会えれば食いつき、そうでなければスルーしていく。

 ホームスクールをするうえでどんな教材を使ったらよいのかは、あまり関係ないように思います。せっかく学校外の学びをやっていくのですから、その子の好きなことや興味から出発していくと、豊かな学びの世界へ入っていくことができます。その意味でも、子どもたちが今、何に心を向けているか、心の向きを見るようにしています。

 不安を考え出したらキリがありません。それに押しつぶされるより、「その子との今」を見ていく。オンラインのコミュニティでもいいので、理解のある場や人とつながり、自分や子どものちいさな成長を確認しあう。

 そうすると、学校外で育つことに親自身も安心感を感じられ、子どもの未来が信じられるようになってきます。「今日は楽しかったな」を続けた先に、「明日も楽しいかな」、そして、「明日も楽しみだなの未来」があります。子育てには雨の日も、くもりの日もありますが、今この時代の、このときを、いっしょに楽しみましょう。(了)

【プロフィール】
生駒知里(いこま・ちさと)
14歳、12歳、10歳、8歳、4歳、3歳、生後3カ月の7児の母。学校以外の場で子どもが豊かに育っていける場を提供したいという願いのもと『多様な学びプロジェクト』を立ち上げ、代表を務める。

(初出:不登校新聞554号(2021年5月15日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)

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