「不登校という概念がない社会を」 不登校を経験した支援者が考える不登校の現在地と未来

 『不登校新聞』は今年で創刊25年。600号の節目を迎え、約25年前に不登校となった前北海(まえきた・うみ)さんを本紙編集長・茂手木涼岳(もてぎ・りょうが)が訪ねました。先輩の支援者たちに対する問いや、不登校をアイデンティティとして生きてきた自分に対する否定など、この25年間のなかで考えてきたことについてうかがいました(※写真は前北海さん)。

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茂手木 『不登校新聞』創刊当時(1998年)、前北さんは中学2年生。不登校をし始めて間もない時期でしたね。その後、フリースクールネモを立ち上げ、千葉県フリースクール等ネットワーク代表を務めるなど、不登校支援の活動に尽力されています。この25年をふり返ってみていかがですか?

前北 『不登校新聞』が創刊されるころまでは、支援者が不登校当事者の権利を守るために学校や行政などを相手に闘う時代でしたよね。学校は、今よりもはるかに不登校への理解がなくて、不登校を子ども本人の問題や、親の育て方の問題に矮小化してしまう見方が強かった。

 でも「不登校の子は悪くない。学校や社会に問題があるんだ」と、僕らよりも上の世代の支援者たちが闘ってきた。そうした歴史のおかげで、僕が2010年に「フリースクールネモ」を立ち上げるころには、もう「闘いの時代」は過ぎ去ろうしていて、2016年に教育機会確保法ができると、「子どもを中心にして、みんなで支えあいましょう」と、よりいっそう支援者と学校や行政が連携するようになったと思います。学校や行政と闘うのではなくて、行政とも協力できるところは協力していこう、という流れができてきたのです。

先駆者を見て感じたこと

茂手木 「闘いの時代」をつくってきた先輩の支援者たちを見ていて感じることはありますか?

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