なぜ勉強するのか?―その理由は今は分からなくても大丈夫です(太田講師)

こんにちは。はじめまして。

キズキ共育塾・講師の太田です。

さて、今日は「なぜ勉強しなければならないのか」ということについて、私なりの経験や今の心情から書いていきたいと思います。

勉強する意味…今はわからなくてもいいと思います!

多くの人は、必ず一度は「なぜ勉強しなければならないのだろう」と自問することがありますよね。特に、今、中学・高校に通っているくらいの歳の子、社会の流れのままに受験の渦中にいる子は、つきあたって悩んでしまうテーマなのではないでしょうか。

かくいうわたしも、中学、高校生の頃は悩んでいました。数学で二次関数・図形・証明をやって、生物で遺伝の仕組みをやって、「覚えたり勉強したりすることって面倒だ!」「大人になっても必要ないじゃないか!科学者になるわけでもないのに」って。

今になって思うことは、「学生の当時にはわからないことがたくさんある!」ってことです。自分がどんなことがわからないのかもわからないんです。いや、大学生になった今でさえ、まだまだ未知の世界はたくさんあるのだろうから、偉そうなことは言えませんが。

でも、まだ10年と少ししか生きていないから、わからないことがたくさんあるのは自然なことだと思うんですよね。「勉強する内容」というより、勉強して考えることで、精神的にも歳をとることになるのかなあとも思っています。

勉強していた当時は気づかなかったことですが、学生の時勉強していた内容やその勉強をする過程は、人の性格とか考え方とかを構成する断片になっているような気もしています。大学に入って面白いことや刺激的な新しいことにふれ、たくさんの人に出会い、歳をとるごとに様々な経験をしていく中で初めて、勉強してきた断片的なことがつながっていくような。

だから、勉強する意味がまだわからないのは普通で、無理にわかろうとしなくても良いと思います。

自分の「好き」から始めましょう!

そんなこといっても、「意味も分からずに勉強できないよ」と思う人がいるかもしれません。

でも、私はこう思うんです。「人間」という生物に生まれて勉強して考えることができる仕組みを手に入れたっていうことは、とても幸せなことで、それが人間の使命というか性質なんじゃないかって。人は潜在的に好奇心っていうものを誰もが持っていて、それは色々な知識や出来事にも通ずることだと私は思っています。

でも、多くの人が「中学生までは義務教育だから」とか「なんとなく勉強しなければいけないと思うから」という意識を持って勉強しているのではないでしょうか。そのようなスタンスでは、好奇心を勉強に向ける、「面白い」と思って勉強する、という意識を持つことは難しいと思うんですよね。

だからまずは、好きな科目があれば、それだけでも「楽しんで勉強する」ってことを実感してみてほしいんです。もし「好きな教科がない」っていう人でも、RPGが好きなら冒険物の本を読んでみようとか、電車が好きなら少しずつ地理をやってみようとか、そんな切り口でもいい気がします。

自分の「好き」をうまく勉強に勉強に繋げてみると、勉強が楽しくなってくるのではないじゃないでしょうか!

「勉強してよかった」と思える日が必ず来ます!

私は大学で国際関係の勉強していますが、いろんな国の内部に住む人の価値観に寄り添うために、イスラム教やラテンアメリカの文化などを勉強してみたり、地域の力を強化するための観光開発の勉強などもしています。

一見関連性の無いように見える断片も、ふとした瞬間につながって、知識の糧になっている気がします。だからみなさんも、いつか大学に行って勉強したい分野が見つかったり、新しい知識を蓄えていくときに、きっと「学生の時勉強してよかった」と思うときがあるし、逆に、自分の選択の幅を広げることにもつながります。

長々と書いてしまいましたが、「今は勉強する意味がわからなくても、きっといつかその意味がわかる日がくる」っていうことが結論ですかね。。

確信的なことが言えなくて申し訳ない気もしますが、でも、勉強する意味って自分が「勉強したなあ」って思えた後でわかるものなのではないでしょうか。

この記事を読んでいるあなたにも、きっと「勉強してよかった」って思える日が必ず来ると思います。私が約束するので。

今その意味に悩み苦しんでいる人は、きっとその悩みも、糧として還元される日が来ます。応援しています。

<※おひとりで悩みすぎる前に、ぜひキズキ共育塾にご相談ください。温かいスタッフ・講師がお待ちしています。>

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