「この先、何十年も生きてたくない」学校で傷ついた14歳を癒した言葉【中川翔子が聞く】

メイン画像:中川翔子さん

  不登校をしているリサさん(14歳)にお話をうかがいました。リサさんは学校でどんな思いをしていたのか、何が心の支えになったのか。自身も学校で苦しんだ経験のあるタレント・中川翔子さんが聞き手になり、お話をうかがってきました。

* * *

――はじめまして。中川翔子です。今回は10代の当事者に直接、お話をうかがうことで、いっしょに不登校を考える時間にできればと思い、取材をさせていただくことになりました。まずはリサさんの不登校の経緯を教えていただけますか?

 私が不登校になり始めたのは中1の夏休み明けの9月でした。きっかけは入部したバスケ部です。部活の顧問が厳しい人で、ルールを守れなかった場合、水を飲むことも許されず、真夏の炎天下で立たされ続けたこともありました。また、私はルールを覚えるのが苦手で、みんなと同じようにうまくできないため、顧問からは「なぜできないんだ」とよく声を荒らげられました。そんな私は試合にも出してもらえず雑用ばかり。先輩や一部の同級生からも強く当たられるようになりました。それは部活の時間だけではなく授業中にもありました。ある日、英語の授業中に「お前なんて生きている意味ねぇ」「死ね」と同級生から言われたこともありました。あまりの暴言に、すぐにでも教室を飛び出したかったのですが、そのときは涙を必死にこらえて座っているのが精いっぱいでした。

――なんてひどい。まわりに助けてくれる人はいなかったのでしょうか?

 本当は誰かに助けてほしかったのですが、同級生や先生さえも見て見ぬふりをしていました。授業が終わると、みんなはまるで何事もなかったかのよう。私はそのあと、トイレに駆け込んでひとりで泣いていました。ほかにも、同級生からは足を引っかけられたり、ハサミで髪を急に切られそうになったりしたこともありました。あのころは学校のなかのどこにいても、安心できる居場所がなかったです。

いじめよりも先生の対応が

――想像を絶するほどに恐ろしい環境で言葉を失います。つらかったですね。

 もちろん、いじめや暴言、陰口はつらかったです。でも、何よりも信じられなかったのは先生の対応でした。目の前でいじめが起きているのに、まるで先生には関係がないような感じで助けもしてくれませんでした。とくに部活の顧問は「できない人が悪い」というような考えを持っている人で、私を含めて「できない部員」たちへのいやがらせは暗黙の了解という感じでした。

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