「もう行きません」15歳の少女が学校と決別した理由【全文公開】

「学校へ行くことはきっぱりやめました。何もわだかまりはありません」とすがすがしく語る15歳のすみれさん(仮名)。すみれさんが「学校をやめる」と決めた理由、今をどのようにすごしているか、これからやりたいと思っていることなどをうかがいました。

*  *  *

――すみれさんが学校へ行かなくなったのは、いつごろからですか?

 中学1年生の2学期からです。もともと、小学校のころから学校がキライでした。小3のときにクラスが荒れはじめ、いつもさわがしい子たちがいて、「うるさいなあ。もう、うんざり」と思っていたんです。それでも中学生になったら環境が変わるかもしれないという淡い期待がありました。

 しかし、中学にもうるさい人たちはいて、教室は荒れていました。そのうえ、「先生に従うのが絶対」という雰囲気があり、生徒への締めつけがきびしい。入学してからがんばって通いましたが、1学期の終わりごろには、嫌気がさしてきたんです。

 また、人間関係を割り切ったことも、学校と決別した理由の一つです。小学生のときからずっと仲がよかった女の子の親御さんから、「本当はあなたの言動で傷ついていた」と言われたことがありました。そうしたトラブルがあると、「人間関係ってたいへんだな、うまくいかないな」と私はいちいち引きずって悩むタイプでした。しかしあるとき「もういいや」と吹っ切れるきっかけがありました。

 それは、あまり人間関係のトラブルに巻き込まれていない子がどんなふるまいをしているのか、気づいたことです。その子をよく観察していると、誰にでも同じ態度をとっていました。本人に話を聞いてみても、「とくべつ親しい人とか、キライな人とかはいない」と言うんです。そのとき、「人間関係に悩まない人もいるんだな。私は、人と上手に付き合うことができないタイプだ」と思いました。そして「人間関係をつくることがヘタな星のもとに私は生まれたんだから、うまくやろうとするのはもうあきらめよう」と思ったんです。

 夏休み中に、あらためて自分に学校は必要かどうか考え、「学校をやめる決断」をしました。結局、私にとってたしかだったのは「もうあの場にはいられない」ということだったのです。

もう行きません

――「学校をやめる」ということを、親や学校にはどのように伝えたのですか?

 ストレートに、「もう学校へは行きません」と言いました。さいわい、親は不登校に理解があるほうだったので、私の考えを受けいれてくれました。めんどうだったのは学校です。学校は「ほかの生徒を動揺させないでほしい」と言ってきたんです。そして「転校することにしてはどうか」という提案をしてきました。

 実際に学校を変えるわけではありません。学校には所属し続けるのですが、クラスメートには「転校することになった」と伝えて、お別れをしてはどうか、というのです。きっと学校側は自分たちの体裁を守りたかったんですね。生徒に「学校は必要ない」と言われてしまう自分たちのふがいなさをさらしたくなかったんでしょう。言われるがまま、同級生たちに「今までありがとうございました」と告げ、学校へ行かない生活に入りました。

 今はなんのわだかまりもなく自由にすごしています。「転校」したことになっているので、外で同級生に会わないよう、出かける時間に気をつかわないといけないのは窮屈です。しかし私にとっては、家で自分の好きなようにすごせることが何よりうれしいです。

 朝起きて、母に頼まれている洗濯をすましたあとは、「さあ今日は何をしよう」と計画を立てて1日をスタートしています。親は仕事で日中は家にいないので、夕方までは自分ひとりだけの時間。好きな本を読むなど、やりたいことをやって満喫しています。

 どうせなら今を楽しくすごしたいと私は思っています。ツイッターで見かけたある投稿が自分に響いたからです。「子どものときは時間もあるし健康だけど、お金がないから、したいことができない。大人になればお金はあるけど仕事で忙しいから、自由な時間がない。高齢になるとお金も時間もあるけど、健康な体がない。だからやりたいことは、今やるしかない」。子どもでいられる時間は20年もありません。今しかできないことをやっていきたいと思っています。

 ただ困っていることもあります。勉強です。私は学校へ通っていたときから、あまり勉強へのモチベーションを保てませんでした。「どの教科もまんべんなくできるようになりましょう」という学校の風潮がイヤで「苦手な科目も克服しないと」と言ってくる教師に飽き飽きしていました。何より、中学での勉強が将来どう役に立つのかわからないから、がんばれないんですね。

 しかしいざ学校をやめてみると、「勉強しなくちゃ」という焦りが出てきました。今を大事にしたいので、将来のことをあまり考えたくはないのですが、中学1年までの学力でこれから先やっていけるのか不安です。だから勉強しようと思うのですが、ひとりではなかなか続きません。どうやったら勉強に向き合えるかには悩んでいます。

不登校について考えてみると

――勉強のほかに悩んでいることはありますか?

 悩んでいるわけではありませんが、学校へ行かなくなったときから、不登校についてよく考えています。「もし学校へ行っていたらどんなことが得られたんだろうか」とか「不登校の経験はムダではないはず」など、自分なりの「不登校とは?」を考えているんです。ただ、頭のなかで思っているだけではなんにもならないですよね。「不登校に関する活動って何かあるのかな?」と、ネットで調べて出会ったのが『不登校新聞』でした。記事をいくつか読んでいくうちに「子ども若者編集会議」があることを知り、不登校について意見交換ができそうだし、編集や文章の仕事に興味があったので参加することにしました。

 関わってみたら楽しくて、記事を書くことも少しずつチャレンジし始めています。ただ、考えていることはたくさんあるけど、何をどうやって発信したらいいのか悩みます。

 編集会議では私と同じように学校へ行っていない人や過去に不登校だった人と話してきました。そこで感じたことがあります。不登校を、「長いあいだ自分についてまわるマイナスの経験」と捉えている人もいる、いうことです。

 私の場合は学校や人間関係にわだかまりがないし、今が楽しいので気にしていないつもりですが、不登校にはやっぱり逃げや甘えのイメージもあるみたいです。でも私は「不登校を重く考えなくてもいいんじゃないか。選択の一つと捉えてもいいのではないか」とも思うんです。

 選択できるって大事なことではないでしょうか。選択を認めることは個人を尊重することだと思います。だから今やりたいと思っているのは、不登校が選択の一つと捉えられるような、「不登校の手引書」をつくることなんです。

 不登校になるかもしれないというときも、なった直後も、学校や親・友だちとの関係などがどうなってしまうのかわからなくて、不安ですよね。でも、不登校になったあとのことがメリット・デメリット含めてまるごとわかる、パンフレットのようなものがあったらどうでしょうか。内容は、不登校の体験談集や、学校へ行くこと・行かないことのちがいをまとめたコラムなどをイメージしています。

 「不登校のその先」がわかる手引書があることで、学校生活に苦しんでいる人は、「いつでも学校をやめてもいいんだ」と気が楽になるかもしれません。今不登校の人は、「不登校を選択だと受けとめてくれる人がいるんだ」と後ろめたい気持ちが、やわらぐかもしれません。

 私だって日々をすごすなかで、不安になることがまったくないといったらウソになります。でもネガティブに考えてもしんどいだけです。「不登校っていう生き方も、まあいいじゃないですか」って自分にもほかの人にも言いたいです。

 「不登校になってしまった」と責めるようなイメージを持つのではなく、不登校は個人によって選択してもいいし、しなくてもいいものという認識が、当事者をはじめ社会に広がればいいなと思います。まだ具体的にどうしたらいいのかはわかりません。ただ、私には今時間があります。本を読んだり、自分で文章を書いてみたり、じっくりと自分の気持ちに耳を傾けたりして、具現化していけたらいいな、と思っています。

――ありがとうございました。(聞き手・本間友美)

(初出:不登校新聞547号(2021年2月1日発行)。掲載内容は初出当時のものであり、法律・制度・データなどは最新ではない場合があります)

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