社会人で経験した挫折。救いになったのは不登校だったときの自分

 仕事探しで苦労し、何度も転職を重ねてきたユウミさん(31歳)。どん底から兆しを見出したのは、不登校したからこそでした。有名企業に就職するわけでも、一芸に秀でた有名人になったわけでもない。「等身大の私を見てほしい」という思いを語ってくれました。

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――今、ユウミさんはどんなお仕事をしているんですか?

 約2年前からライターの仕事と不登校などで学習や生活に困りごとを抱える子どもたちを支援する仕事をしています。

 ライター業では、企画を立案したり、お話を聞きたいなと思った人にインタビューをしたり、自分の興味のあることを軸に記事を作成しています。学習支援の仕事では、勉強を教えたり悩み相談に乗ったりと、不登校を含むさまざまな事情を抱えた子のサポートをさせてもらっています。

 どちらの仕事も楽しくやりがいを感じているのですが、じつは今の職にたどり着くまでが私はたいへんで。急遽、就職することが決まったり、退職を経験したり、山あり谷ありでした。

――具体的に、どんな道のりだったのでしょうか?

 まず、大学卒業後は大学院に進学したかったのに、急に就職を目指すことになったんです。もともと私は学生のときから、働きたくないと思っていました。学校を卒業したらあたりまえのように社会に放り出されることにすごく抵抗があって。自分の意思じゃない行動をさせられるのが、イヤだったんです。でも父がうつ病で働けていなかったことをきっかけに、親から「就職してほしい」と言われてしまって。そこで大学院への進学はあきらめ、私は就職することにしました。

 働くことが決まってからは、自分の思いを具現化できる企画制作や文学部の経験が活かせる司書など、自分が興味のある職に就職することを考えました。どうせ働かなきゃいけないんだったら「せめて自分がやりたいと思える仕事に就きたい」と思っていたからです。なので、会社のOLさんなどいわゆる王道の安定した職には目もくれず、とにかく自分の気持ちを優先して仕事を探しました。

 最終的には公共の教育施設で働くことが決まり、それから5年間くらいは何度かの転職を経ながら、社会教育や芸術文化に関わる仕事を続けました。そして3回目の転職のとき、念願だった企画の仕事に就けるチャンスが巡ってきたんです。イベントやワークショップを企画するなど、自分のアイディアを形にできる企画の仕事は私のあこがれの職業でした。ほかの仕事をしながらも、いつかは企画の仕事をと思い続けていたので、当時は本当にうれしかったですね。あきらめず企画の仕事を目指してきてよかったと思いました。

 でも、そこからが私にとって茨の道でした。

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