小6で不登校になったきっかけは、みんながいる教室での担任の一言

 小学校では不登校。中学と高校でも学校生活に苦しんだSORAさん(10代)。高校中退後はパニック症状もあいまって外出すらも困難になったなか、苦しさの対処法がようやく見えてきたと言います。SORAさんが周囲に「ずっと前から求めていたこと」とは、なんだったのか。不登校の経緯から現在に至るまでのお話をうかがうなかで、見えてきたものがありました。

* * *

――SORAさんの不登校経験を教えてください。

 私が最初に学校を休みがちになったのは、小学4年生です。給食が食べられなくなったことがきっかけでした。ある日の給食の時間、1人の同級生が突然教室で吐いてしまったことがあったんです。

 私はその子の近くの席だったので、介抱をしたり先生を呼びに行ったりしました。しばらくすると保健室の先生が来て、その場はことなきを得たのですが自分の席に戻った途端、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまったんです。「今給食を食べたら、私も同じように吐いてしまうのではないか」と急に恐怖心が込み上げてきて。

 思えば、それが起こったのはクラス替えをして間もない時期で、私自身まだクラスになじめていませんでした。安定しない環境のなか突発的なことが起きて、パニックのような状態になってしまったのだと思います。

 結局、その日を境に私は恐怖心から給食が食べられなくなりました。月に1回~2回ほど学校を休むようになり、保健室へ行く回数も増えました。

 当時は給食の時間が本当に苦痛でしたね。4時間目まではずっと緊張しっぱなしで、給食ワゴンの音が聞こえてくるとずっしりと心が重くなりました。お腹も空いているはずなのに、給食の時間になるとなぜか空腹を感じませんでした。

 「給食があるから学校へ行きたくない」と思ったことは正直何度もありました。ただ、親が学校を休むことに肯定的ではありませんでしたし、何より友だちや先生のことは好きだったので、いっしょに学校生活をすごしたいという強い思いがあったんです。

不登校の決定打

 でも結局、小学6年生の4月、私は学校へ行けなくなってしまいました。原因は担任のひとことです。

関連記事

登録から30日間無料!ゲーム依存、昼夜逆転、勉強の話、子どもにしてもいいの…?疑問への「答え」が見つかるウェブメディア 不登校オンライン お試し購読はこちら