自分の性別にずっと違和感が。性同一性障害に出会うまで

 今日も自分だけ女装して学校へ行くんだ――。そう語るのは、不登校経験者のはるきさん(20代)です。小学3年生のころから自身の性に違和感があったというはるきさんは、18歳で「性同一性障害」の診断を受けます。はるきさんの提案のほとんどを却下した学校の対応、中学2年生で不登校になった当時の気持ち、母親との関係のほか、現在は不登校支援やLGBTQの相談員をしていることなど、はるきさんにお話をうかがいました。

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――不登校になったきっかけを教えてください。

 中学校に入学後、女子の制服を着なければならなくなったときに、どうしても着られなくなったのがきっかけです。もともと、自分の性別に対する違和感は小学校のころからありました。

 最初に意識し始めたのは、小学3年生のころ。男女で遊び方が分かれる時期で、ずっと仲のよかった男友だちが「お前、女だから」と遊んでくれなくなったんです。そのあたりから「ああ、そうか。自分は女の子だから女の子として生きなきゃいけなかったんだ」と、性別を意識し始めました。

 小学校高学年になると、生理が始まり、胸が膨らんできました。自分の身体にも、居心地の悪さを感じるようになりました。ただ、当時は「性同一性障害」という概念も知らなかったので、口に出さないだけで、みんなも同じような感覚なんだろうと思い、女子としてすごしていましたね。

 しかし中学では、それまでのようにはすごせなくなったんです。入学した学校は、ワンピースみたいな制服を着て登校することが義務づけられていました。  

 最初のうちはなんとか通えていたんです。しかし、しだいにパジャマから制服に着替える時間が長くなっていきました。始めのうちは20分から30分ほどでした。しかし2年生になったころには、朝4時くらいに起きて「今日も自分だけ女装して学校へ行くんだ」と覚悟を決める時間が必要でした。

 なんとか登校できても、男女別の授業にもつまずきました。生徒たちの男女差も顕著になっていく時期です。一方、自分は「女子生徒」であること自体、違和感があったわけです。学校に、どんどんなじめなくなっていきました。ついには制服を着て通学するだけで、吐くまでになったのです。そんな状態ですから、登校できるのは週に1日~2日でした。そして、中学2年生の夏休み明け、ついに限界がきて、完全に学校へ行けなくなりました。

先生につらさを打ち明けたが

――先生にはどのように伝えましたか?

 2学期が始まってすぐ、担任の先生から「休みがちだけど、どうした?」と連絡がありました。夏休み中の部活も欠席していたことが、担任に伝わっていたんですね。「スカートを履くのがめちゃくちゃ苦痛で」と伝えたら、先生は「それはつらかったね」と受けいれてくれました。

 しかし、たいへんなのはここからでした。

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