「自分のなかにいつも母が居た」 僕が不登校を通して自分の主張をできるようになるまで

 現在、システムエンジニアとして働く不登校経験者のゆうまさん(26歳)。ゆうまさんは不登校当時、親の「よかれによる支配」を受けていたと言います。しかし大人になったゆうまさんが壁にぶち当たったとき、突破するヒントをくれたのも、また親だったと言います。不登校を「自分の人生が大きく変わる経験だった」と捉えているゆうまさんに、体験談や親子関係についてお話しいただきました。

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――ゆうまさんの経歴から教えてください。

 私は小中で不登校を経験したあと、通信制高校を経て大学へ進学し、新卒で就職しました。クライアントの要望を聞きながらシステム設計をしたり、システムの実行環境を整えたりするシステムエンジニアとして働いています。
 この職業を選んだのは学生時代にキャリアカウンセラーの方に勧められたからでした。「ゆうまさんは人の話を聞くことに長けているし、物事をルールに沿って整理する力もあるから、お客さんの要望を汲み取ってシステムをつくる仕事が向いているよ」と言われたんです。実際にその指摘は当たっていたようで、今の職場では顧客対応と技術の両面を評価していただいています。

ディズニーでもシステムに注目

 ちなみに、私は年間パスポートを買うほど「ディズニーリゾート」が好きなんですが、そこでもシステムに注目して楽しんでいるんです。「ここに柵があるからキャスト(スタッフ)がいなくてもきれいな列ができるんだな」とアトラクションを待つお客さんの並ばせ方を考察していて(笑)。仕事はお金を稼ぐためにやるものだと思っていますが、それでも興味のないことだと続きません。私はこの仕事を同じ会社で約4年続けられているので、やっぱり自分に合っているんでしょうね。

 ただ、「不登校関連の仕事をするのが天職だったんじゃないか」と悩んだ時期もありました。それは私にとって不登校が、自分の人生を深く考える転機だったからかもしれません。

――どのような不登校を経験されたのですか?

 私は小学3年生の3学期から不登校になりました。

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