楽しかった「あのころ」を探す旅へ 帰国子女不登校の僕が母校へ帰った理由

 「あのころに会いに行きたい――」。幼少期をアメリカですごし、日本に帰国後、不登校になったという馬場貴也さん(23歳)。そんな馬場さんは、幼少期に通っていたアメリカの日本人学校へふたたび出向き、生徒に向け講話をしたと言います。それは馬場さんにとって、自身の半生を総括する時間となりました(※写真は日本人学校で講話をする馬場貴也さん・右端)。

* * *

 2023年9月1日、僕は母校であるアメリカのシカゴにある日本人学校(シカゴ双葉会日本語学校全日校)を訪問してきました。日本人学校とは、日本国内の学校における教育とほぼ同等のものを行なうことを目的とする学校です。

 僕が通っていた日本人学校は、小学部~中学部合わせて全体で106名の生徒がいます。全日校と補習校に分かれており、全日校は月~金まで授業があり、補習校は、週末だけ開校し、国語と算数を中心に授業をしています。僕は、全日校に2006年~2008年、小学1年生~3年生のあいだ通っていました。

日本に帰国後 不登校に

 僕はシカゴに2歳から9歳まで住んでいました。そこは日本ではまず見かけないほど緑豊かで、青空が美しい環境でした。いっしょに遊べる友だちも多く、楽しい日々をすごしていました。

 しかし日本に帰国した後、環境が大きく変わったことでカルチャーショックを受け、同級生や先生からの暴行や言葉による暴力などもあり、小学4年生のころに不登校になりました。

関連記事

登録から30日間無料!ゲーム依存、昼夜逆転、勉強の話、子どもにしてもいいの…?疑問への「答え」が見つかるウェブメディア 不登校オンライン お試し購読はこちら