「よくぞ無理やり行かせないでくれた」小・中学校で不登校した男性が親に心から感謝していること

「早めに王道のレールから外れておいて、よかった」。中学生のとき不登校になったボビンさん(28歳)はそう話します。会社員を経て、現在は独立されたボビンさん。今でこそ不登校を前向きに捉えられるようになったのですが、以前は「自分はダメだ」と自己否定するつらい時期が長く続いたそうです。これまでの不登校経験や、考え方の変化など、お話をうかがいました。

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――ボビンさんの不登校はいつごろから始まったのですか。

小学5年~6年のころにいじめを受けていて、よく学校を休むようになりました。クラスメイトから嫌なあだ名をつけられたり、そのあだ名を使ってわざと自分に聞こえるように悪口を言われたりしたんです。でも、なんとかがんばって週3日くらいは学校へ行くようにしていましたが、正直なところ、週3日でもめちゃくちゃキツかったです。

完全に不登校になったのは中学1年のときです。中学校は、自分をいじめていた子たちとはちがう学区の学校に入学しました。でも、もともと人が多い場所が苦手だったのもあると思うんですが、やはり「学校の雰囲気」がどうしても合いませんでした。休み時間に聞こえるクラスメイトの話し声で、もしかすると自分が悪口を言われているかも、と不安になってしまうんです。小学校のときにいじめられていたので、陰口にすごく敏感になっていたんですね。結局、中学卒業まで、テスト期間とスクールカウンセラーに会うとき以外は、ほとんど学校へ行きませんでした。

居場所になった 支援センター

不登校中、スクールカウンセラーの勧めで、教育支援センターに通い始めました。中学1年の夏休み前のことです。教育支援センターには「学校に戻れ」というプレッシャーがなかったので、無理なく通うことができました。「戻らなきゃいけない」という圧力もなかったので、楽しんで行っていたし、自分の居場所にもなっていました。基本的に週4日は教育支援センター、週1日は塾という生活。不登校だけど、自宅ではなく外ですごす時間が多かったように思います。

高校進学の時期になり、やっぱり全日制の高校は難しいと思ったので、通信制の高校へ進むことにしました。現在の「NHK学園高等学校」に入学したんですが、基本的に授業はインターネットで、スクーリングも3カ月に1回程度。いわゆるキャンパスライフみたいなものはなかったです。でも高校生活を物足りないと思うことはありませんでした。むしろ人間関係のあまりない淡白さが自分にはよいと思っていたくらいでした。

当時、自分には「将来、美術系の仕事に就きたい」という夢があって。夢を実現するために、美大の予備校に通い、アルバイトをしながら、4年かけて通信制高校を卒業しました。でも、高校を卒業するころに、うつ病を発症してしまったんです。美大の予備校もアルバイトも、かなりキツかったので、がんばりすぎた反動だったんだと思います。

つらかった 3つのこと

――不登校中、ボビンさんがつらかったことはなんですか。

大きく分けると3つあります。

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